約 1,297 件
https://w.atwiki.jp/get5out/pages/84.html
浄土真宗白鷺会 教学テキスト 仏教学3号 問7 問 善知識をそしることはもちろんおろそかに思っただけでも法謗の大 罪を犯すことになると教えられた親鸞聖人の御言葉と出典を 示しなさい。 答 「善知識をおろかに思ひ、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり。」 (末灯鈔) 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 仏教学3号 問8へ [get5out考察] get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 仏教学一号 問(17) 問 善知識をおろそかに思うことが法謗罪になると仰有った親鸞聖人の お言葉と根拠を聖教で示せ。 答 善知識をおろかに思い、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり。(末灯鈔) 解説 ・善知識――信心決定の体験と深い教学を身につけられた方。 ・謗法――法謗罪 ・おろか――おろそか 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(1) 問(35) 問 善知識をおろそかに思うことが謗法罪になる、と仰有った親鸞聖人の お言葉と根拠を示せ。 答 ○善知識をおろかに思い師をそしる者をば謗法の者と申すなり。(末灯鈔) 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問8 問 善知識を謗ることはもちろん、おろそかに思っただけでも法謗の大罪 を犯すことになると教えられた親鸞聖人の御言葉とその出典を書きなさ い。 答 「善知識をおろかに思い、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり。」 (末灯鈔) 真流一の会 上級教学テキスト 真流学4号 問6 問 善知識を謗ることはもちろん、おろそかに思っただけでも法謗の大罪を犯す ことになると教えられた流祖の御言葉とその出典を書きなさい。 答 ○善知識をおろかに思い、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり。 (末灯鈔) 『信声新聞 第67号 平成7年11月25日発行 (2面) 生死の一大事(十五) 五逆罪と法謗罪 会 長 中 根 繁 ・・・親鸞 聖人は末灯鈔に、「善知識をお ろかに思ひ、師をそしる者をば、 謗法の者と申すなり」と教えられ た。あからさまに仏法や善知識 (仏教の正しい指導者)を誹る人 だけではなく、善知識をおろそか にする人も法謗の者であると仰しゃ るのである。 ・・・ ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 仏教学3号 問8へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 02 23 32 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/250.html
若松 郭外 下町 西名子屋町 長命寺 大日本地誌大系第30巻 163コマ目 この町の西頬にあり。 浄土真宗京師東本願寺の坊地なり。江戸築地朝草両坊と同じく掛所(*1)と称す。本願寺12世教如の時蒲生秀行に請て一宇を営み輪番の地とす。その時は今の甲賀町の地に在にあり。院地狭隘(きょうあい)なるにより寛文中(1661年~1673年)に請てここに移れり。初三河国の僧祏金という者輪番として当寺に来りその後相続て諸国の僧輪番せり。肥後守正之この地に封ぜらすすに及で出羽国最上泉徳寺住職幸甫という者長命寺と號しこの地の留主居となりき。然るに年久く祖師親鸞等身の影像とて本願寺の木像を模写せる画像なかりしを幸甫より5世の法孫幸観寛政中(1789年~1801年)京師に登り本願寺より請受てここに安置す。昔この邊に花蔵院とて真言宗の寺ありしが後に廃せり。意ふに当寺その旧跡なるべし。 総門 東向。北に番所あり。前に7尺計の石を建て『本願寺御門跡掛所』と刻めり。 中門 4間に1間半 本堂 10間に8間。本尊弥陀外に七高祖ならびに聖徳太子の画像祖師親鸞等身及び列祖の影像を安じ十字名號一幅(親鸞筆)を掛く。歴代の帝號ならびに今上皇帝の尊儀を安置し奉る。この本堂の飾は掛所の験なりという。 鐘楼 本堂の南にあり。延寶の頃(1673年~1681年)植木重嗣という商人あり。風塵を厭ひ当麻山東明寺(大町)の境内に草庵を結で住し称名念佛の外他事なかりしが三鐘を鑄て本州福島浄土寺と耶麻郡五目組上三宮村願成寺と当山とに寄付せり。『延寶八歳次庚申初冬十五日植木吉兵衛重嗣』と彫れり。当山第8世幸胤が作る所の銘あり。煩はしければ略す。 但心寺 門を入りて左にあり。8間に4間、当寺の塔頭なり。 泉徳寺 破壊の後再建未だ成らず。 寶物 親鸞影像 1幅。 顯如影像 1幅。『本願寺釋教如慶長十五庚戌年四月十七日奥州會津郡門田荘若松』という裏書あり(慶長15年=1610年) 教如影像 1幅。裏書に『本願寺釋宣如元和二丙辰十二年十二月奥州會津若松』と記せり(元和2年=1616年) 宣如真筆之書 1冊 蓮如真筆之號 1幅 親鸞絵画 4幅。裏に『大谷本願寺親鸞聖人傳繪釋教如慶長十六辛亥年四月十四日奥州會津若松』とあり(慶長16年=1611年) 法然一枚起請 1幅。後鳥羽定宸翰といい伝う。 猫画 1幅。古法眼元信筆 中丸石当寺の庭前泉石中の一なり。寛文の頃(1661年~1673年)家士関藤右衛門というものあり。郡奉行を勤めしが私欲寡なく常に民事に力を盡(つく)せり。初村民用水にくるしみ田畝少かりしを藤右衛門深く憂いて新たに渠を穿ち水田闢けて大に利を得たり。村民その徳あふき時の郷頭中丸某というものに謀り(中丸石と名くる事これに因れり)この石を運び来り中庭の歓娯となさん事を請う。藤右衛門いいけるは、余さきに渠を開きしは国の為にて専ら汝等がためのみにあらず今更報を得べき理なし。然りといえどもかかる大石を20里に余れる行程を経てはこび来れるに受ざるも本意にあらず、長命寺は余が祖先の菩提所なれば彼寺におさめんとて頓(やが)て当寺に転送せしとぞ。後渠の邊に碑を建てこれを祭る。今に至て村民参詣して香花を供すという(碑は大沼郡大石組本名村にあり併みるべし)
https://w.atwiki.jp/nijisai/pages/2.html
メニュー トップページ ポッドキャスト各話まとめ第0話~第50話 3+13+1まとめ にじさい用語辞典用語辞典 ここを編集
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/130.html
加波山の修験者。 大覚寺に拠点を置いた親鸞の教説を邪説として、43人の山伏と共に何度も暗殺を謀るも失敗。 その後、親鸞の「自若とした風貌に惹かれ」て浄土真宗に帰依、明法坊として往生した。 (ISIS本座 バジラな神々)
https://w.atwiki.jp/get5out/pages/735.html
浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問13 問 煩悩にまみれた自己に泣いておられる親鸞聖人の信後の御言葉を書き その出典も示しなさい。 答 「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、 定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず、恥づべし 傷むべし」(教行信証信巻) 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問14へ 平成16年5月22日(土) 教学講義 講師:中根繁会長 「定聚の数に入る」とは、正定聚の身になること。51段目のさとりを開 くこと。信心決定すること。 正定聚の人は、沢山居るので「定聚の数に入る」と言う。 「真証の証」とは、仏のさとりのこと。52段目のさとりを言う。 「真証の証に近く」とは、信心決定すると、この世は51段目の正定聚な ので、死後は52段目の仏になる身になっている。これは言い換えれば、 死が近づけば近づくほど仏のさとりになるのが近くなるということとも言 える。これが、「真証の証に近く」ということ。 ここで、親鸞聖人は、「51段の正定聚に救って頂たことも喜べないし、 死後に仏になれることも嬉しくない」と歎かれている。 「信心決定しても、信心決定したことよりも欲が満たせる方が嬉しい」と 仰っている。 中根先生も、「親鸞聖人と全く同じで信心決定したことなど喜べない」と 仰る。 これは信心決定した人は、皆同じ. 歎異抄にも「いささ所労のこともあれば、「死なんずるやらん」と心細く 覚ゆるなり」と仰っている。 これは、「ちょっとでも病気になったら死んでしまうのではないかと心細 く思う」と仰っている御言葉。 「死の解決をされた」と仰りながら、「死にたくない、死が怖い」と仰っ ている。 中根先生は、「この教行信証の御言葉を読まれる毎に、「全くその通り だ」と思われてとても嬉しくなる」と仰る。 親鸞聖人も、この御文では悲しんでいらっしゃるように仰っているが、悲 しんでいるまま喜んでいらっしゃる。 「教行信証は、三哉が説かれている」と言われる。 「慶ばしき哉」と教行信証の始めに仰り、信巻では「悲しき哉」と仰り、 そして、最後にもう一度「慶ばしき哉」と仰っている。これは絶対矛盾的 自己同一の境地を告白されている。 善悪を超えた境地を親鸞聖人は、言葉で説明される都合上、善なる面を先 に説かれたり、悪なる面を先に説かれるだけで、本当は善のままが悪、悪 のままが善。 信前は、愛欲に振り回されないように戦い続けで苦しみばかり。信後は、 愛欲に振り回されようが、喜びは変わらないので気楽。 煩悩はどこから生まれるのか? それは七転識によって生み出される。 「七転識」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意・末那識の七識が影響し合って いることを言う。 この七転識で阿頼耶識を見たところから、我執、我見、我愛といった煩悩 が生み出される。 本当は、何も実体のあるものなどない。全ては実体のないものなのに、 「実体がある」と思い込んでいるのが人間。しかし、実体があるという思 いを生み出しているのは自分自身の心である。 これを「三界唯一心 心外無別法」と言う。 これは、三界は唯一心によって生み出される。心の外に別に法はないとい うこと。 この煩悩の説明は難しいので、通常は末那識が阿頼耶識を間違った姿とし て認識させることで生み出されるという説明をする。 阿頼耶識は、形を変えながら続いているのに、末那識が生滅をしない固定 不変なものと誤認させる。 その誤認から、「我がある」という間違った思いが生み出される。 そして、この我が存在するという思いから執着心が生じる。そして、この 執着心が全ての争いを生んでいる。 [get5out考察] get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学二号 問37 問 親鸞聖人の悲痛な懺悔のお言葉を二つ記せ。 答 ・無明煩悩しげくして塵数のごとく遍満す、愛憎違順することは高峯丈山 にことならず。(正像末和讃) ・悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して定聚の 数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず、恥ずべし、傷む べし。(教行信証信巻) 解説 ・しげく――はげしく。 ・遍満――すきまなく満ちている。 ・愛憎違順――自分に順う者は愛し、順わないものを憎む。 ・定聚の数――正定聚不退転(現益) ・真証の証――弥陀同体覚り(当益) 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(2) 問(29) 問 親鸞聖人の悲痛な懺悔のお言葉を『教行信証信巻 』と『正像末和讃』で一つずつあげよ。 答 ○悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利 の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、 真証の証に近くことを快まず。恥ずべし傷むべし。 (教行信証信巻) ○無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す 愛憎違順することは 高峰岳山にことならず (正像末和讃) 解説 ・現等二益。 ・塵数――ちり。 ・遍満す――満ちあふれている。 ・愛憎違順する――自分をしたう人→かわいい。 自分に反抗する人→憎たらしい。 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(3) 問(11) 問 親鸞聖人が『教行信証』を書かずにおれなかった慶びを述べ られているお言葉と、その根拠を示せ。 答 ○ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の 師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。 真宗の教・行・証を敬信して、特[こと]に如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここを 以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり。(教行信証総序) 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 真宗学3号 問8 問 二種深信を教行信証の御文で示しなさい。 答 ○ 悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定 聚之数に入ることを喜ばず、真証之証に近くことを快まず。恥ずべ し、傷むべし。(機の深信) ○ 慶ばしき哉や、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難く して今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。 (法の深信) ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問14へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 02 26 52 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。
https://w.atwiki.jp/wiki11_library/pages/475.html
書籍ライブラリ 仏教 梅原猛 説得力のある文章。歴史研究、民俗誌、作家、哲学者。 梅原猛─日本もご覧下さい。 edit 愛蔵版大特集 日本の仏像誕生! 芸術新潮 2006年 11月号 2007.1 keyword 梅原猛,円空 目次 木彫仏1000年 日本の仏像ことはじめ 日本の仏像はなぜ木なのか? 鉈彫への旅 歩いた・彫った・笑った円空と木喰 小特集 ダリ-終の棲家のラビリンスへ インタビュー 最後の江戸木挽・林以一-「意外とみんな木のことを知らない」 DATA 雑誌A4 新潮社; 月刊版 (2006/10/25) 名前 コメント edit 円空を旅する 冨野 治彦 2007.1 出版社/著者からの内容紹介 ●足跡を追う 生涯12万体の仏像を刻む大悲願をかかげ、造仏行脚を続けた江戸時代の僧・円空に惹かれた筆者が、その足跡を追って北海道の洞窟から東北、関東、岐阜、愛知県内などの寺院や神社、奈良・大峯山中などを尋ね、円空の実相に迫る。筆者は産経新聞大阪本社文化部の記者。任地でナマの円空仏に接し、円空仏のとりこになり、産経新聞大阪夕刊で33回にわたり「円空を旅する」を連載。本書はこれに加筆した。さらに円空の研究を進めている哲学者・梅原猛氏の「円空と私」、円空学会の長谷川公茂理事長の「円空歌集からみた円空の思想と信仰」を掲載。 ●異相の仏たち ノミ跡も荒々しい円空仏は、岐阜、愛知を中心に北海道から東北、関東など現在、5200体以上が発見されている。大木から仏像を刻んだときに出た木屑、木っ端をも刻んだ円空。阿弥陀如来、薬師如来、十二神将、不動明王、護法神像などいずれも荒削りなのに繊細、ぶっきらぼうなのに神経が行き届いている仏たち。「どこかやさしさが漂い、見ているだけで心がいやされていくような気がした」(筆者あとがきから)ように、その滋味あふれるほほ笑みに癒され、惹きつけられるファンは多い。本書はカラー口絵をはじめ、魅力ある円空仏の写真を多数掲載している。 内容(「MARC」データベースより) 円空が生きたのは江戸時代前期。安定期に向かいつつも、まだ波乱含みの時代だった。当時未開の北海道、東北を歩き、関東一円に滞在し、奈良の大峯山で厳冬の窟籠りまでした円空の足跡をたどる。『産経新聞』連載をまとめる。 かも。 2006.4.13 これから読みます。 文章の切れ味がよく、円空の足跡をていねいにたどっている。キメこまかく取材していると思う。もっと円空のことが知りたくなった。 -- バサラ男 (2007-12-04 15 06 43) 名前 コメント 最澄と空海―日本人の心のふるさと 梅原猛 空海を知るには最澄を知るべし 2006.9 空海は、同時代の先輩格であり、エリートであった最澄との対比で見ることで、輪郭がより際立ってくる。二人は偶然にも同じ遣唐使団で唐に渡っている。最澄は国費で、空海は自費。まずは本書でこの辺の事実関係を押さえた上で、HNK取材班の「「空海の風景」を旅する」を読むのがオススメです。 この著者の文章は、他の著作もそうなのですが、何とも心が和みます。瀬戸内寂照さんが、「小説を書いたら私くらいにはなれる」と言ったとか何とかいう話もなるほどと思います。 なお、最澄の偉業を知りたい方は、本書の後に「三人の祖師―最澄・空海・親鸞」を読まれる事をお勧めします。 それぞれの彫りは浅いですが、まとめ或いは入門としては好いと思ひます。 出版:小学館文庫 (2005/05) 梅原猛の『歎異抄』入門 梅原猛 内容(「BOOK」データベースより) 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。強烈なパラドックスを含むこの成句で有名な『歎異抄』。その一言一句から発せられる「毒」と「薬」は、時代や階層をを超え、人々の魂を揺り動かしてきた。親鸞の純粋なる信仰を、直弟子唯円が大胆率直に記述した『歎異抄』の魅力はと何か。わが国で最も優れた宗教書であると絶賛する著者が、その真髄をあまさず語る。法然と親鸞、親鸞と唯円という師弟関係を通して浮かび上がる独自の世界。道徳の延長ではない宗教の本質を抉る。原文と現代語訳、年表付きの決定版。 親鸞。狂気故に閑寂の中に身を置いた思想。 2006.4.13 歎異抄の入門書はあまた出ていますが、梅原氏は説教臭くは語らないし、学問一点張りでもなく、つまりご自分が生きる糧としても読まれている。その点で梅原氏は信用して良いのではないかと思ひます。 edit 歓喜する円空 梅原猛 内容(「MARC」データベースより) 12万体に及ぶ異形の神仏像を彫った仏師・円空。謎多き生涯や、創造への歓喜あふれる芸術性、深く篤い宗教思想を読み解きながら、円空を日本文化史上の重要人物として大胆に位置づける。『芸術新潮』掲載に加筆して単行本化。 2007.1 えーっと、買ったような気がするんですが、かも。 参考リンク 円空学会の本(bk1)円空連合 名前 コメント edit 空海 河出書房新社(編) 空海入門はこれがベスト。 2006.12.19 内容(「MARC」データベースより) 中沢新一へのインタヴュー「最後の空海、未来の空海」や前田英樹へのインタヴュー「潜在性のマテリアリスト」、司馬遼太郎と福永光司との対談、空海に関する論考などを収録。世界的な思想家として空海をとらえなおす。 私の知る限り唯一最良の「入門」書。ただし中沢新一はさすがにちょっとアレです。 「入門書」には2種類ある 「入門」書と云ふのは多くの場合「概説」或ひは「要点解説」と混同されてゐて、前者、即ち入門書はこれから何かを学ぼう・考えよう・行動しようとする際の出発点で在るべきなのに対し、後者はそれ一冊で取り敢えず事足りるとするものですから目指す方向は全く逆です。 「知らない事が分かる」本 本書は確実に前者の「入門」書。これ一冊ではどうにも収まらない広がりが察せられる様に出来てゐる。次への手掛りも幾つかは示されてゐる。執筆陣自身が未だ研究途上で在ると云ふスタンスで書ひてゐる。其うして空海に尽いて益々興味が持てると云ふ寸法。空海に付ひての「?」を自分なりに発見出来ます。 執筆は中村元ほか(中沢新一氏が冒頭に入つてゐるのには参る)。司馬遼太郎氏が対談で入っているのに対し、梅原猛氏が入っていないのが面白い。 河出書房新社(2006/1/21) 名前 コメント edit 梅原猛著作集 三人の祖師―最澄・空海・親鸞 古代アジアに現れた比叡山というユニバーシティ 2006.7.22 出版社/著者からの内容紹介 三人の開祖たちの根本思想の最新研究成果 最澄、空海、親鸞、三人の開祖たちの実践、哲学・思想、人間像を深く掘り下げた梅原仏教研究の最新の成果を収載。親鸞の門弟であり、『歎異抄』の著者である唯円の出自と学識にも迫る。『歎異抄』の現代語訳も掲載。 あふれる情熱と豊かな想像力で真理を探究し、人間とは何か、日本とは何かを深く思索つづけてきた梅原猛。哲学、歴史、文学、宗教、芸術など既存の枠組を越える壮大でユニークな作品群は「梅原日本学」とも称され、多くの読者を獲得してきました。本著作集では、主要著作に、新たに書き下ろし作品「法然の哀しみ」を加え、「教育問題」「地球環境問題」「長江文明論」など、著者が全力で取り組んでいる最新のテーマ作品も網羅。 歎異抄、唯円から見た親鸞 この本の中で親鸞は、弟子が書いた「歎異抄」を通じて描かれています。しかしこの親鸞の紹介はどうにも煮え切らない。梅原氏の仕事としては珍しく詰めが感じられない。 下で紹介している「『歎異抄』入門」も著者は同じですから、詳しくはそちらでということになります。 仏教思想を完結し体現してみせた空海 一方、最澄が如何に日本仏教の発展に貢献したかということが緻密に立証されていきます。同時代の空海が孤高の光の世界に荘厳せられた生き神であったのに対して、やや年長で幼少時代から日本の将来を肩に背負っていたエリート親鸞は、完成された教義ではなく、仏の教えが将来に渡って刷新されて行くシステムを作ったと云うのが著者の評価です。 期待を背負い礎となった最澄 当時の日本ではあらゆる学問は僧が受け持っていた事を考えると、比叡山は一種のユニバーシティであったと云うのは著者の慧眼であると思ひます。最澄にそのつもりが有ったのか無かったのかに関わらず、その後の比叡山が、時代を画する名僧を次々と輩出することになったのは事実であります。 梅原氏に依る歎異抄全文現代語訳なども追録 単行本 三人の祖師―最澄・空海・親鸞 (仏教文化選書) もありますが、全集の方が出版が後で、幾分かの追録があるようです。ソフトカバーの携帯性を採るか、全集の保存性の良さ(ものによっては字組や装丁などの仕事の細かさ)を採るかは悩むところです。 詳細 箱入りハードカバー710ページ 小学館 (2002/05) 名前 コメント ご感想などお寄せ下さい。 お名前 コメント 芸術新潮 日本の仏像誕生 円空を旅する 最澄と空海 梅原猛歎異抄入門 歓喜する円空 河出書房空海 三人の祖師
https://w.atwiki.jp/kuizu/pages/1537.html
ほうねん 自作 仏教の一派で、浄土真宗を成立したのは親鸞ですが、 浄土宗を成立させた親鸞の師匠といえば誰でしょう? (2010年4月10日 Twitterクイズ大会 ) タグ:歴史 Quizwiki 索引 な~ほ
https://w.atwiki.jp/kyoto-database/pages/152.html
東本願寺(真宗本廟) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都市下京区にある浄土真宗?の一派、真宗大谷派の本山寺院。「お東さん」の愛称でも呼ばれるが「東本願寺」は通称であり、正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は教如(本願寺光寿)。徳川家康より本願寺(現在の西本願寺)の東側に寺領を与えられて創建された。近接する飛地境内地の渉成園も管理する。 歴史 浄土真宗?の宗祖親鸞?の末娘覚信尼によって興った本願寺が、越前国(福井県)吉崎から京都の山科、大坂の石山と各地を移転しながら発展。石山での織田信長との10年間のわたる抗争・和睦を経て、天正19年(1591)に豊臣秀吉からの土地の寄進を受け、京都市下京区堀川六条に移転する。本願寺11世顕如の死後、長男の教如と弟の准如が対立し、慶長7年(1602)に教如が徳川家康から寺領を与えられて別立することになった。このため寺が東西ふたつに分かれることとなり、教如の開いた寺を東本願寺、それまでの本願寺は西本願寺と通称されるようになった。江戸期には4度の火災に見舞われ、現存する建造物の多くは明治期の再建。しかし建築物・障壁画等は当時の技術の粋を集めたもので、御影堂は世界最大級の木造建築物である(現在修復工事中)。明治以降、親鸞?の血筋を引く大谷家の当主が法主(宗派の教学を顕現する)、管長(真宗大谷派の代表)、住職(真宗大谷派の本山東本願寺の代表)の地位を継承し、権限を独占していたが、昭和35年(1960)頃からこうした教団のあり方をめぐって意見が対立、改革を主張する勢力が教団のあり方の改正を訴える。昭和56年(1981)になって宗憲(宗派の憲法にあたる)が改正され、教団運営が選挙で選ばれた議員による議会制となり、従来の法主、管長、住職にかわって門首が置かれるなどの改革が行われた。一方、同派の東京浅草別院住職であった大谷光紹(興如)が従来通り法主を中心とする運営を主張し、宗憲の改正と時期を同じくして真宗大谷派から分離独立し、これに賛同する末寺・門徒をまとめて「浄土真宗?東本願寺派」を名乗った。大谷光紹の弟暢順(經如)や暢道(後に光道と改称、秀如)らも大谷派を離脱、現在真宗大谷派は大谷暢顯(淨如)を門首とし真宗本廟を本山とする真宗大谷派、大谷光見(聞如)を法主とし浅草別院を本山とする浄土真宗?東本願寺派、大谷光輪(楽如)を門主とする財団法人本願寺維持財団、大谷光道(秀如)を当主とする東本願寺大谷家の4派に分かれている。正式名称である「真宗本廟」は親鸞の根本道場・帰依処としての「はかどころ」を意味し、分派した諸派と区別して正当性を主張する意味がある。 伽藍 御影堂 正面76m、側面58m、高さ38mの二重層の建築物で、明治28年(1895)に完成した。入母屋造、桟瓦葺。宗祖親鸞?の御真影が安置されている。屋根には約17万枚の瓦が使われ、90本の柱が支える堂内には927枚の畳が敷かれており、世界最大級の木造建築として有名。 阿弥陀堂 御影堂の南側に並んで建ち、御影堂と同じく明治28年(1895)に完成した。入母屋造、桟瓦葺。御影堂よりはやや小ぶりで単層だが、正面52m、側面47m、高さ29mの大きさを誇り、約10万枚の瓦と401枚の畳が使われている。堂内には本尊の阿弥陀如来像、本尊の左右には法然?と聖徳太子の御影と、インド・中国・日本の六高僧の御影を安置する。 御影堂門 御影堂の東側正面にある高さ約28mの重層門で、明治44年(1911)の再建。入母屋造、桟瓦葺。楼上には「真宗本廟」の扁額が掲げられ、釈迦如来・阿難尊者・弥勒菩薩?の三尊像を安置する。天井には竹内栖鳳?の天女の絵が描かれる予定だったが、下絵を完成させた段階で逝去したため白いままとなっている。楼上は通常非公開。 阿弥陀堂門 阿弥陀堂の正面やや北寄りに建つ切妻造、檜皮葺の四脚門。唐破風を備え、江戸時代には唐門とも呼ばれた。現在の門は明治44年(1911)の再建。 参拝接待所 建築家武田五一?の監修によって昭和9年(1934)に新築。平成10年(1998)には本願寺中興の祖、8世蓮如の500回御遠忌の記念事業として、地下部分に視聴覚ホールやギャラリーなどが設けられた。 諸殿(書院・能舞台・宮御殿・大寝殿・桜下亭ほか) 書院は来賓接待に使用され、白書院からは能舞台が観覧できる。宮御殿は旧大宮御所?内の御殿を移築したもので、琵琶湖疏水?を利用した庭園がある。大寝殿は慶応3年(1867)に建てられた東本願寺最古の建物で竹内栖鳳?の障壁画が飾られている。桜下亭は明治42年(1909)に東京霞ヶ丘に建てられた隠居所を移築したもので、円山応挙の障壁画が飾られている。これら諸殿は公式行事や来賓接待などに利用されるため通常非公開であるが、期間限定で公開されることもある。 渉成園(枳殻邸) 周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれる歴代門首の隠居所。平安時代に左大臣源融が奥州塩釜の景を移して海水を運ばせたという六条河原院苑池の遺構と伝わり、寛永18年(1641)に徳川家光から寄進された。約1万坪の池泉回遊式庭園は承応2年(1653)に石川丈山?によって作庭され、印月池を中心として回棹廊(檜皮葺の廊橋)、侵雪橋(木造の反橋)、縮遠亭(中島に建つ茶室)、傍花閣(二層門)、園林堂(棟方志功の襖絵がある仏堂)などの建物が配置されている。慶応元年(1865)より明治期にかけて修復されたが、石組は当時とほぼ変わらないという。昭和11年(1936)には国の名勝に指定された。 大谷祖廟(東大谷) 円山公園の南にあり、東大谷とも呼ばれる御廟所。弘長2年(1262)に親鸞?の遺骨を鳥辺野の北の地に納め、10年後に改葬されて新たに祖廟が建立され、寛文10年(1670)現在地に移転した。長い参道の先に、御廟、本堂、書院、墓地などがある。本堂は元禄14年(1701)の諸堂の整備の際に建立されたもの。親鸞?をはじめ、本願寺の歴代並びに全国の門徒の遺骨が納められている。 文化財 国宝 教行信証(親鸞?筆、坂東本) 重要文化財(建造物) なし 重要文化財(美術工芸品) 絹本著色親鸞?聖人像 紙本著色本願寺聖人?伝絵 紙本著色本願寺聖人?親鸞?伝絵 一念多念文意(親鸞?筆) 名勝 渉成園 拝観情報 住所 京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754 電話番号 075-371-9181 拝観時間 5:50~17:30(3月~10月)、6:20~16:30(11月~2月) 拝観料 境内自由 アクセス JR京都駅より徒歩7分、市バス「烏丸七条」下車すぐ 駐車場 門前道路にタイムパーキングあり 主な行事 1月1日 修正会 1月25日 法然?上人御祥月命日法要 2月22日 聖徳太子御祥月命日法要 3月春分の日を中心に7日間 春季彼岸会法要 3月25日 蓮如上人御祥月命日法要 4月1日~3日 春の法要 4月1日~8日 花まつり 4月15日 立教開宗記念法要 7月14日~15日 盂蘭盆会法要 8月1日~5日 暁天講座(大谷祖廟) 8月14日~16日 万灯会(大谷祖廟) 9月秋分の日を中心に7日間 秋季彼岸会法要 9月27日~28日 大谷祖廟報恩講(大谷本廟) 11月21日~28日 宗祖親鸞?聖人御正忌報恩講 12月20日 お煤払い 12月31日 歳末昏時勤行 その他 京都検定出題 平成16年(2004)第1回京都検定3級出題 「東本願寺の別邸である渉成園は誰から与えられた地に作られたか。 (ア)徳川家康 (イ)徳川秀忠 (ウ)徳川家光 (エ)徳川家綱」 リンク 東本願寺オフィシャル http //www.tomo-net.or.jp/ 現代語 歎異抄 いま、親鸞に聞く
https://w.atwiki.jp/wiki12_nya/
親鸞会スレッドwiki 親鸞会スレッド暫定まとめページ 現行スレッド このWikiの使い方に関する暫定案 1つの議論、話題に関して1ページとする 何スレ目のどのあたりに出てくる議論かを明記する(ループしている場合は、その中のいくつか) その他のルールは、適宜スレで話し合う 編集権は、「管理者のみ」「ユーザーのみ」「誰でも」 @Wikiの一般的な使い方について @wikiの詳しい使い方 @Wikiたすけあい掲示板
https://w.atwiki.jp/nijisai/pages/3.html
更新履歴 取得中です。 ここを編集